恋は光映画結末ネタバレ!原作との違いラスト考察!

恋は光

恋は光映画結末ネタバレ!原作との違いラスト考察!

Pocket

「恋は光映画結末ネタバレ!原作との違いラスト考察!」と題してお届けしてまいります。

映画「恋は光」がついに上映されましたね。

この日を待ちわびていたファンの方も多かったのではないでしょうか。

すでに映画を鑑賞された方から、作品を絶賛する声が多く寄せられています。

そこで、本記事では映画「恋は光」をネタバレでご紹介してまいります。

既に原作のコミックでラストを迎えている「恋は光」ですが、みなさんは映画の結末がどうなると考察されますか。

原作と映画との違いについてもリサーチしました。

 

恋は光映画結末ネタバレ!原作との違いラスト考察!


映画「恋は光」は、秋★枝(あきえだ)さんが描いた同名の作品が原作となっています。

“恋”というものが、実際に目に見えたらラブストーリーはどうなっていくのでしょうか。

特別な体質を持つ男子大学生・西条(神尾楓珠さん)の初恋を通して、“恋”の定義についての議論がスタートしていきます。

それでは、映画のあらすじを見ていきましょう!

 

映画あらすじ

3人の女性が西条を巡り、恋とは何かを悩みながら、不思議な四角関係になっていく様が描かれています。

男子大学生・西条(神尾楓珠さん)は、“恋している女性が光を放ちキラキラして視える”という特別な体質を持っていました。

西条は、“光”が見え始めた頃、その正体が分かりませんでした。

やがて西条は光を「恋している人間が発するもの」だと仮定しすることで、人の恋愛感情を見破るようになっていきます。

そのため、西条は恋することを避け、恋愛とは無縁の大学生活を送っていました。

しかし、ある日大学で、西条は「恋というものを知りたい」と言う文学少女・東雲(平祐奈さん)に出会います。

西条と同じで、恋愛経験がない東雲は、文学や古典作品に没頭し、純粋に恋愛を探求していました。

自分に似た雰囲気を持った東雲に一目ぼれしてしまった西条は、幼なじみの北代(西野七瀬さん)に相談しアドバイスを受けます。

それから西条は東雲と“恋の定義”を語り合うという交換日記を始めました。

「恋とはなにか?」を真剣に考えていた東雲は、北代の気持ちに気付きながらも西条に惹かれていきました。

そんなふたりの様子を見ていた北代は、動揺します。

北代は西条に片想いしていたからでした。

しかし、北代は西条から「光っていない」と言われたため、自分の想いを西条に伝えられなかったのです。

西条が北代の彼氏だと勘違いした宿木(馬場ふみかさん)は、、西条に猛アプローチを開始します。

宿木は他人の恋人ばかりを好きになり、最終的に自分のものにしてしまうという癖がある女性でした。

そんな恋についての考え方や経験も全く異なる4人が、恋を解き、恋に触れながらその答えを追及していきます。

 

光とは?

映画「恋は光」では、西条の見えている“光”ついて描かれています。

西条は、光が「恋している人間が発するもの」だと仮定し、「恋をしている女性が光る」と考えていました。

しかし、西条に想いを寄せる北代は光っていません。

一方、西条を想う東雲や、北代から西条を自分のものにしようとしている宿木は光っていました。

北代、東雲そして宿木、それぞれ西条へ恋していた中で、なぜか一番西条への想いが強い北代は光りません。

この光の正体が分からいまま、「そもそも恋って」という“恋”の議論を、恋についての感性が違う4人が繰り広げていきます。

そんな価値観や経験値がバラバラな4人の恋の議論は白熱していきました。

“理性による恋”と“本能による恋”の違いなどといった恋の議論が、映画「恋は光」の中心となっています。

そして“光”についての深堀がはじまります。

西条自身は光りませんが、東雲と出会った瞬間に教室が光ったことで、自分が東雲に恋したことを自覚しました。

恋人のいる人に近付き、その人を自分の物にすることで、宿木は光を放ちます。

東雲は恋の定義について理解し、好きを認識した途端に光出しました。

東雲は北代から光が放たれない理由を、母性愛のような北代の恋は、母性を知らない西条が見えないという分析します。

でも、もしかすると自分が恋する相手はすでに光っていて、光っているからこそまぶしくて見ていられないのではないでしょうか。

西条にとって北代そのものが光であり、恋そのものだったのかもしれません。

結局、「会いたい」や「触れたい」という気持ちが恋だと、映画「恋は光」で伝えたいメッセージではないでしょうか。

 

恋は光映画結末ネタバレ!原作との違いラスト考察!

「恋は光」の結末は原作と映画では大きく違っています。

映画「恋は光」のラストで、西条は誰を恋人に選ぶのか見ていきましょう!

 

原作と映画の結末の違い①

どちらの結末も、北代と東雲のどちらかを西条が選ぶのかというところから描かれています。

原作では、西条は北代が特別な存在であるがゆえ、交際することは出来ないと伝えます。

西条が探究した“恋愛”とは、学習することではなく、本能によるものでした。

北代と付き合ったら、きっと上手くやっていると西条は思います。

しかし、不安になったり、心に迷いがでるといった感情も含んだ恋愛をしたいと願っていました。

そうなると、西条のこの感情の対象となる存在は東雲だったのです。

自分の考えを尊重し、納得してくれた北代でしたが、ふたりの友情は終わりを迎えました。

また仲の良かった宿木とも、距離があいてしまうことになります。

西条は東雲に「付き合いたい、恋を知りたい」と告白しました。

東雲は「私でよければ」と返事します。

原作では西条が初恋の相手・東雲と恋人同士になるとことでラストを迎えました。

 

原作と映画の結末の違い②

一方の映画の結末は、西条が自分と同じ、光が見える画家の女子高生から「その人が恋だと思ったら光が出る」ということに気付かされます。

最初、西条は東雲を好きになりましたが、みんなで恋の議論を重ねるうちに、これは恋だけど憧れだと学習しました。

そしてこの恋という定義のどこにも当てはまらない感情を北代に感じていることに気付いた西条は、これこそが恋だと自覚します。

恋してる人が光っていると思い込んでいた西条は、自分には見えない光の存在を知ることで、見えなくなっていたものが何なのかを認識しました。

言葉で恋を定義しようとしてきた西条が、心で恋を理解したのです。

北代の想いが仮に恋ではなかったとしても、西条はすべての恋を可視化できることは不可能であるという考えに至りました。

結果、西条は北代を選び、そんなふたりを見た宿木も、自分もまともな恋をしたいと願いました。

映画では、西条は北代を恋人に選んだのです。

仮に好きな人は光っていなくても、好きな人そのものが光であるということを、映画では伝えたかったのではないでしょうか。

4人が繰り広げてきた恋の定義とは、周囲に求めるのでなく、自分の中に既にあるものを発見することだったのかもしれませんね。

 

まとめ

「恋は光」の原作と映画の結末の違いをネタバレでご紹介してまいりました。

映画を通して、自分にとっての恋の定義について考えさせられる内容でしたよね。

原作と映画のラストが180度違うといったパターンの映画に、みなさま満足されましたでしょうか。

どんな結末になるのか考察されていた方にとって、驚きのラストだったのかもしれません。

どちらにしろ、思わず恋したくなる作品であったことは間違いないはずですね。

以上、「恋は光映画結末ネタバレ!原作との違いラスト考察!」でした!

-恋は光