20歳のソウル映画は実話?モデルは実在人物か徹底調査!

20歳のソウル

20歳のソウル映画は実話?モデルは実在人物か徹底調査!

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「20歳のソウル映画は実話?モデルは実在人物か徹底調査!」と題してお届けします。

今回は2022年に上映予定の映画「20歳のソウル」について徹底調査してみました。

「20歳のソウル」が実話をもとに作られた作品なんですよ。

モデルも実在人物と言われていますが、どんな人物なのでしょうか。

気になる「20歳のソウル」の誕生秘話を、徹底調査してきましたので早速ご紹介していきますね!

 

20歳のソウル映画は実話?

映画「20歳のソウル」は、吹奏楽部に所属していた男子生徒の実話を基に制作されています。

仲間とともに青春を謳歌した男子生徒が生み出した応援曲、そして彼の人生が描かれています。

さっそく彼がどんな人生を送ったのか見ていきましょう。

 

実話?

主人公は吹奏楽部に所属していたある男子生徒です。

彼はトロンボーンを担当し、活発で優しく、周りを明るくする生徒でした。

顧問の高橋健一先生から大きな影響を受けながら、仲間とともに高校生活を送り、青春を謳歌していました。

そんな彼が野球の強豪校として知られる野球部のために、オリジナル応援曲の作曲に挑戦します。

作曲の難しさに直面しながらも作り上げられたのは、高橋先生の叱咤激励があったからでした。

彼が作曲した「市船soul」は、試合で演奏するたびに得点を呼び込み、"神応援曲"と呼ばれるようになっていきます。

高橋先生のような教師を目指して大学へ進学した彼の体に異変が襲いかかりました。

詳しい検査の結果、病に侵されていることが判明します。

しかし転移がありながらも手術と治療を行い、懸命に病と闘った彼は、20歳という若さで生涯を閉じました。

告別式では吹奏楽部の元部員、現役部員が集り、「市船soul」で彼を送り出したのです。

そして彼の生み出した「市船soul」は受け継がれていき、運動部の試合だけでなく、吹奏楽部の大会でも演奏されていました。

 

20歳のソウル映画モデルは実在人物か徹底調査!

20歳のソウルのモデルとなったのは、元吹奏楽部員の浅野大義さんです。

卒業を控えた浅野さんは、顧問の高橋先生に「オリジナルの曲を作らせてください」と願いでました。

その申し出に対して高橋先生は「出来が良かったら採用する」と答えます。

そして、卒業した年の夏に高橋先生に渡されたのが「市船soul」でした。

応援曲に採用された「市船soul」は、後輩たちによって野球部の試合で演奏され始めました。

演奏を始めると得点を呼び込むことがSNSでも話題になり、"神応援曲"と呼ばれるようになったのです。

 

モデルは?①

モデルとなった浅野さんは「市船soul」を書き上げた翌年の夏に体調を崩し、病気が見つかりました。

半年間入院して、治療と手術を受けたものの、退院の翌月には病気の転移が判明。

再治療を終えて7月に退院し、大会の準決勝では後輩とともにスタンドで「市船soul」を演奏しました。

その後、再び転移が見つかり、次第に身体を自由に動かすことができなくなっていった浅野さん。

家族や友人には弱音を吐かなかった浅野さんでしたが、彼女にはLINEで『俺の心は死んでても俺の音楽は生き続ける』と伝えていました。

闘病の末、浅野さんは2017年1月12日に20歳の人生を終えたのです。

 

モデルは?②

高橋先生は教え子の告別式での演奏を提案し、吹奏楽部のOB、OGと現役部員の総勢164人が集まりました。

告別式では「市船soul」が演奏され、選手名のコールは作曲者名の「タイギ」となっていたといいます。

告別式会場には「浅野大義君 市船soulは永遠だ」という、母校が作った横断幕が掲げられていました。

この話は浅野さんの母が、朝日新聞の「声」欄に投稿されたことで反響を呼びました。

投稿に感銘を受けた朝日新聞の記者が高橋先生にも取材されて、朝日新聞の全国版の記事になっています。

また、テレビの報道番組では浅野さんと市船の絆についての特集が組まれました。

 

まとめ

「20歳のソウル映画は実話?モデルは実在人物か徹底調査!」はいかがでしたか?

映画「20歳のソウル」は実話を基に制作されていることが分かりました。

またモデルとなった浅野さんはもちろん、浅野さんが作曲した市船soulも、多くの人に愛されています。

実在人物である浅野さんの青春と人生が描かれていて、音楽への熱い気持ちを持っていた人だったことも判明しましたね。

映画「20歳のソウル」を観て、浅野さんの熱い気持ちを感じてみてはいかがでしょうか。

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